靴そろえるの面倒
茶碗洗うの面倒
洗濯モノ畳むの面倒
面倒、面倒、面倒、、、

面倒という言葉が日常飛び交っている

行動しない為に何もかも面倒で終えようとする

よくよく考えてみる
面倒の裏には何があるのか?

それは、

たった今したくないという気持ちがあるわけで…
結局、そうなると今のままになるわけで…
今のままということは変化しないというわけで…
変化しないということは、進化しないというわけで…

面倒の裏にもうひとつ
進化したくないということも隠されているようだ

言い換えるて、極端な話をすると、変化する自分自身を恐れている?
敢えて自分から変化する必要はないと思っている?
不変的な日常を望んでいる?

とも感じとれた、、、

若い人が面倒臭いというのは
もしかしたら、、、
変化しすぎている世の中に追いつけず
マイペースに生かせてよ!

っていう心の叫びなのかもしれない…

子どもを見つめながらそう思った

忙し過ぎる日常
家事ものんびりはできない
家族総出でまわさなければ一日終わらない気さえしてしまう

私をサポートして!

誰しも思う

時間がない
時間に追われる
変化し過ぎる
間に合わない
どうしよう…
このままで…

そんな毎日???

だから面倒臭い

そういう解釈もありかなと考える

物事、多方面から見ていくと何かしら気づきがある

思ってもいない変な考えが浮上してくることだってある(このこともそうかも…)

面倒臭いを少々見守ってあげる時間も必要?

マイペースに自己時間を有効に使える術を、子どもは子どもながらに親と戦いながら習得していっているのかもしれない…

ただねっ、

面倒臭いと思いながらもやった後、やって良かった~と気づくコトが沢山あるのよね~
そこに気づいてもらいたいと思うのも大人だったりするのよね~
双方歩み寄りながら、色々と模索しながら、これからもいきましょうか~

また少し、違った見方が出来るようになったので、ゆっくり見守る時間もとります

まぁ~お互い限られた時間の範囲でと言うことにはなりますが!

「面倒臭い~~~!!」

という言葉が出たら時間止めたいのね!くらいに思って進んでみましょ~